5/23 中学受験のお話
こんにちは、蓮です。
あんま語る気は無かったけど、ここで語ろうかな。
前回の続きなので、前回の「早稲田との出会い」を見てない方は是非見てね!
さてさて…今まで誰にも語ってこなかった中学受験の話、いきますか…
長いので時間があるときにでも見てください!
ーーー
ワイは「中学受験」をしました。
関東圏では、中学受験って珍しくないんじゃないかな??
塾は早稲田アカデミーに通ってました。
たまたま家から近かったからって理由だけで笑
志望校は、早稲田中学一本でした。
受験を意識し始めたのは小4の秋です。
塾に入るまでは遊んでばっかいたので、もちろん、受験開始時の偏差値は本当に30とか取ってました。
このままじゃまずい!と思って、大好きだったゲームも、遊戯王も、全部「封印ボックス」にぶち込んで。
友人達が「イナズマイレブン3 世界への挑戦 が出るってよ!」と盛り上がる中、ワシは1人ふつふつと早稲田受験への決意を固めていました。
だからイナイレはファイア・ブリザードで終えた…。(わかる人、伝われ!笑)
あと、ポケモンのブラック・ホワイトやりたかったのにできなかった〜〜!!話題についてけないのはほんと悲しいよ。。。
ーーー
早稲アカには「YT」っていうレッスン制の講座が毎週土曜日にあって、強制的にやらされるんですけど
これが面白いんですよ。
全部で上からS,C,B,Aと4コースあって、3ヶ月に一回くらいでクラス変動があるんです。
もちろんスタート時のレッスンはA。さらにその中の下位。
(A1~A30みたいな感じで、個人個人の順位があった気がする)
ゲームばっかやってたし、まぁしかたないね!笑
でも一年後の小5の秋にやっとBコースに上がり、小6に入るころには安定してCコースに留まるようになりました。
どれくらいすごいかって言うと、Cコースは偏差値60以上の中学に合格するレベルくらいだと思います。
さすがにSは無理でした笑
各校舎上位5人くらいしか選抜されないんですよ...笑
(彼らは開成や筑駒に合格しました……)
話逸れちゃった
確実に、小6のこの頃から、受験に対して本気になり始めました。
学校終わったら即塾に向かって23:00まで勉強する。
土曜はYTを受け、休みの日は先生の特別授業。
友人も塾に通っていたので一緒に塾に行ってました。
(彼は早稲田中学から東大にいきました...)
マジで中学受験が1番勉強してたかもしれない。
勉強がとても楽しかった。
開始が底辺だったので、頭のいい奴らを下からグングン抜いていく感覚がとても楽しくて、超のめり込みました。
(卒業文集の趣味欄で趣味→勉強、って書いてたくらい)
でも、早稲田には届かなかったんです。
早稲アカにはNN(何が何でも)コースってのがあって、名門中学ごとに区別されてます。
みたいな感じで、各校舎から選抜されたメンバーが毎週日曜に集っていました。
(↑特別なバッジを授与されます笑)
これは小6から始まるのですが、春と秋に二回、選抜テストがありました。
Cコースに乗ったことで、調子に乗っていた俺は意気揚々とNN早中を受けましたが、春のテストではボコボコにされました。
「早稲田ってこんなむずいのか…!!」って。
それから、夏は朝一番早く自習室に来て、夜は1番遅くに帰る。
毎日必死に勉強しました。
あの有名な早稲合ハチマキをつけてね…!!笑
そして迎えた秋の選抜テスト。
結果は、、、
あと1点 足りなかった。
俺は確かに「いけた!」という感触があったが、やはり足りてなかった。
すごく悔しかった、早稲田中学を受ける資格がないと言われたようなもんだ
確実に、この時の惜敗が、俺を早稲田へ執着させる原因となった。
NN早稲田に入れなかったら、早中の特別対策を取る時間が少なくなり、ライバルに圧倒的に差をつけられる。
俺は渋々、その一個下の「難プロ」っていうコースに通った。
悔しかったから難プロで表彰されるくらいトップの成績を取り続けた。
毎週日曜日、悔し涙を飲んで「早稲田校舎」のNNではなく「西船橋校舎」の難プロに通った
そんなこんなで迎えた早稲田受験。
結果、手が届かなかった。
ていうか、NN早中に入れなかったから、早稲田中学より一個ランクを落とした中学を2/1に受けた。
屈辱の極みだよね。
あんなに頑張ったのに、受験資格すら貰えないのかって。
結果的に、早中の一個下のとこには合格した。
かなり有名な某私立中学。
昔の自分じゃ絶対に手が届かなかったレベルの学校に合格した。
偏差値30、Aコースの底辺からのスタートだと思えばすごい飛躍をしたと思う。
早稲田には届かなかったものの、自分の中では「成功」体験だった。
どんなレベルからでも、努力をすれば報われる。
そう小学生ながらも身をもって理解できたのは貴重な経験だ。
しかし、報われない努力もある。
「頑張った人」全員が合格できるわけじゃない。
悔し涙をのんで次に進む。
そして、リベンジを果たすまで何度でも挑戦してやろうじゃないか。
そう覚悟をもって入学した中学校。
C大学付属の"共学"にも合格していたが、
「俺は"C大学"じゃなくて”早稲田大学”に行きたかった」
から、蹴って「男子校」の進学校に進学した。
しかしそこで待つのは悲惨な運命であった...。
↑非常に長い記事ですが、中学受験時代から現在までまとめて書きました、是非ご一読ください!