1/16 (74) 「仮面浪人は”幻想”である」という自覚。
こんにちは、蓮です。
今回は、仮面浪人に対する僕の価値観の変化を書いていこうと思います。
宅浪の方、仮面の方は、是非見てください、何か参考になることがあると思います!
この記事は、12月に作成したけど未完成だったのでずっと下書きに入れてたやつです。笑 短いですが、仮面考えてる方は特に見ていってください!
仮面浪人とは「幻想」である
突然失礼します、
僕のTwitterの名前が「青学仮面」から「二浪宅浪」に変わったのに気づいただろうか。
これは、実はひとつの「覚悟」の表明でもあります。
先日、大学の親友と青山の近くでランチを食べに行ったんですけど、そこでばったり僕が以前所属していたサークルの人に会ってしまって。
正直、目が合ったとき、「最悪」って思いました。だって、身分の説明がめんどくさくて。。。
知人「あれ?お前最近学校来てないけど、こんなところで何してんの?」
僕「あぁ...”家にずっといる”よ。」(お決まりのフレーズ)
知人「はぁ?”何かちゃんとやれ”よ。」
僕「...」
知人「じゃあな、まぁ頑張れよ、何やってるかしらんけど。」
正直、めちゃくちゃ傷ついた。
ま、正論よね。彼らからしたら、僕はただのニート。大学に行ってないでサボってるようにしか見えないよな。家に「居る」だけだもんね。
でもだからといって「宅浪してるんだ」なんて言えないし、「ちゃんとやれよ」ってお前、こちとら毎日必死で勉強してますわ、って言ってやりたかったよ。
結局その日は鬱になっていつもの目標の半分くらいしか勉強できなかった。
でも、このままクヨクヨしてるのは思うツボなので、すぐに立ち上がった。現にこうしてブログを書いてストレスを「昇華」している。
そして、ふと、疑問に思った。
僕の身分とは、いったいなんだろうか?
ニート?
浪人生?
大学生?
仮面浪人とは、「何者」なんだ?
僕の出した答えは、
「”受験”という夢を見ているただの大学生」
であると考える。
先日こんなツイートをした。
ここ来るたび、青学「仮面」とか名乗ってるけど、「合格しない限りオレは紛れもなく、ここの学生であることに変わりは無いんだよなあ」って感じる。
— 二浪宅浪@14時間勉強中 (@ren_wsd) 2019年12月23日
実際は受験を通して、幻想に浸ってるだけのただの大学生でしかないのに
「仮面浪人」とは、「矛盾を含んだ存在」である。
「浪人生」とは、「受験勉強に向けて勉強に取り組んでる人」(いわゆる受験生)ともいえるし、正確には「所属のない存在」と定義できる。
しかし「仮面浪人」は、「受験生」ではあるが、「浪人生」ではない。”所属”している大学に通う、身分上「大学生」であるのだ。
故に、「気持ちは浪人生なのに、本来は大学生の身分である」という奇妙なパラドックスが生まれる。僕なんかは特に、大学の話を振られたときは、いつも怪訝そうな顔で会話をしている。
本来、「浪人生」とは「大学に入る前段階の存在」を指すものであり、「大学生」とは矛盾した言葉である。大学に入るための”所属”として、「予備校」があるくらいなのに、、、
長くなってしまったが、
結論、僕は「仮面浪人」を名乗ることをやめた。
それは、「イチ”受験生”として、自覚を持つ」ことを表明するためである。
僕は、「純粋な“浪人生“」ではない。
なぜなら、今年受験に落ちたら、また「大学生」に戻るからだ。
あんなに憧れた早稲田は全て「夢」、
自分が二年間受験勉強を続けてきた事実もすべて「幻想」へと変わる可能性が少なからず存在するのだ。
合格しない限り、それらは全て「幻想」である。だからこそ、落ちた時の虚無感と喪失感が異常に感じられるのだろう。
でも、僕はそうやって「夢を見る」のはもうやめた。
一度仮面失敗を経験してから、「夢から覚めて」見る世界が大きく変わった。
僕は、今ここにある「現実」を、力強く歩んでいくことを決めたのだ。
それらは、決して「夢」や、「幻想」ではない「現実」だ。
これから先は自分の身分(大学生)はいったん忘れて、イチ「受験生」として、ここにある日々、労力、時間をすべて受験勉強に捧げる「宅浪の受験生」として生きていくことをここに誓う。
中途半端な気持ちでやっていては、成功しないから。
ありがとう、サークルの知人よ。おかげさまで皮肉ながらも成長したよ僕は。
仮面浪人の同志も、今一度考え直してみてほしい。
「幻想」に浸ってないか?
落ちた時のことを考えてリスクヘッジしているか?
仮面失敗したときの絶望感は半端ないぞ。一気に「現実」に引き戻される。
昨年の僕は、なんのリスクヘッジもしてなかった。ただ、早稲田という夢を見ていただけだった。
だから、留年した。手元には時間も、金も、功績も、何も残らなかった。
そこではじめて、今までかけた努力と時間がすべて、「無駄だった」と思い知らされたのだ。正直、”不合格”よりキツかった。すべて「徒労」に終わるとはこういうことだ。
僕みたいになると、大変悲惨だ。「受験のループ」から抜け出せなくなる。
だからこそ、自分の手にあるものを再確認して、「夢を見る」のではなく、「現実を見た」うえで、受験生活を送ってほしい。
僕が偉そうに言えたことではないけどね。笑
失敗を想像すると、怖い。
こんだけ勉強しても、目標に届かず、夢から覚めて、100日後に仮面先に通っているかもしれない、って想定すると、本当に背筋がゾッとする。
僕は、今年の受験が最後だと決めている。ラストチャンスだ。
一回しかチャンスがないということは、「終わりがある」ということ。
でも、終わりがあるからこそ、輝ける。
「夢」が「幻想」のままで終わっていいわけがないだろう。
伴う傷を、厭わずに、本気で進んでいこう。