仮面二浪の早稲田受験記

仮面二浪の早稲田合格記

これは、仮面失敗残留留年の二浪が、早稲田大学に逆転合格し、夢を叶える物語。

1/30 (88) もう無理。

 

こんにちは、蓮です。

 

いきなりメンヘラ感のあるタイトルにしてすみません。

 

でも、ぶっちゃけ本心なんです。

 

今回はただの愚痴記と言っても過言じゃ無いですし、結論みたいなものも出ないと思います

 

ご理解の上、一読ください。

 

イラストや編集も無しで、思ったことをひたすら書いていくので、多分長くなります、時間取れる時にでも見てくださいね。

 

では、、、

 

 

 

鬱だ。

 

なぜ鬱なのだろうか

 

わからない

 

が、考えてみる

 

一時の感情に任せてツイートしても意味ないから、

 

文字に起こすことで整理してみよう

 

 

最近、後ろ向きなことしか考えられなくなった

 

ああ俺ってホントにメンタル弱いんだな。

 

闘う意志も無ければすぐ逃げる方に動く。

 

 

 

 

仮面先に戻った方が絶対楽しいよ、楽だし、脳死で生きても認められる

 

認められる、、、

 

親、親戚、祖父母、バイト先、友人、

 

いわゆる「社会」というもの。

 

「大学生」として大学にきっちり通って卒業すれば、「認めて」くれるよな、

 

なぜか。

 

浪人生である今の僕は、「認められていない」。

 

毎日、親から貶されている。

 

大学生でもないお前に人権は無い、決定権は無い、養ってもらってる分際で何を言ってるんだ、

 

お前はもう20歳を超えている、年金など、納税の義務も発生している

 

いつまでも親の元でぬくぬくと生きてるくせに勝手なことできると思うなよ。

 

「そんなに勝手にしたいならこの家から出ていけ。」

 

親戚、祖父母も「早く大学生としてちゃんと生活できるようになれたらいいね、、」

 

バイト先もそうだ、「キミが大学生として戻ってくるのを待ってる」

 

そういう言葉を後ろ向きに捉えてしまう人間なんだろうな。俺は。

 

承認欲求?

 

いや、俺は「他者から認められたい」わけじゃない。

 

正直、他人が俺のことをどう思ってようがどうでもいい。

 

俺の人生は、俺自身のものでしかないから。その決定権に他者の意志は介在しない。

 

「俺の人生なんだから、せめて自分だけでも認めてあげられるようなものにしたい。」

 

自己肯定感、か。

 

でも、やっぱり、きっと、「社会から認められない」という状態が「怖い」んだろうな。

 

社会から拒絶されていくのを肌で感じている。

 

主語は「他者」ではない。「社会」だ。

 

その「曖昧で見えない敵」が、俺の心を蝕むのだ。

 

仕方がないだろう、人は、「社会」という「共同体」の中で生きることを余儀なくされている存在であるからだ。

 

仲間はずれ、異端者。社会に認められないものは、生きていくことすら認められない。

 

いや、正確には「どう生きようが自由」なのかな。

 

ホームレスになって生きていくことも可能だ。

 

でも、社会には認められてないよね。

 

社会の輪、から外れてしまった。

 

「社会復帰」なんて言葉がある以上、そこには隔絶された距離感が存在する。

 

 

俺は、怖い。

 

日々浪人生として受験勉強をしていくなかで、どんどん世間、社会から距離が離れ、隔絶されていくのをリアルに実感する。

 

なんだってそうだ、この世の中には「仲間外れ」を作るシステムが多数存在する。

 

そこで「選ばなかった」彼らを救ってくれるような外的な措置は存在しない。

 

自分の足で生きていくしかないのだ。

 

今までの俺は、そうやって世間から距離が離れても、「これは俺の覚悟だ」って自分を言い聞かせて、より強く生きようとしてきたけど、

 

今の俺にそのエネルギーは無い。

 

もっと詳しく語ろうか、

 

俺はたぶん早稲田には受からない。

 

 

もう無理だ。

 

試験まで残り2週間、もうやれることは少ない。

 

でも、この遠すぎる距離を埋めるエネルギーは残っていない。

 

なんだろうな、

 

ゴールが見えた!って思ったけど、実はまだ「もう1周残ってました」みたいな。

 

ラソンで周回しててさ、やっとゴールライン見えた!と思ったら、「いや、まだ君はあと1周分走ってこないとダメですよ」って言われてるような感じだ。

 

もう終わりかな、って思ったけど、そこは実はまだ始まりだった。

 

でもさ、今更それに気づいても、もうエネルギーは残ってないんだよね。

 

もう走れないよ。

 

さすがの「ド根性の俺」でも無理。

 

だって何回目だよこれ、何年やってんだよ。

 

そんで今年の不合格を確信してさ、本屋に行くんよ。

 

今年もしだめだったら、来年はどんな教材使おうか。とか。

 

もう後ろ向きなことしか考えられなくなってんのよね。

 

「浪人は救済ではない。転生した自分に救済を求めるな」

 

とかセンター前に言ってたけどさ、まさに今、発言者の自分自身が、それになろうとしてる。

 

「3浪すれば、受かるよね。」

 

気づいたら、俺は「死」にすがっていた。

 

ここでいう「死」とは生命機能の停止じゃなくて、「転生」、新たな受験生として生まれ変わること。

 

環境も、思考も、参考書も全部変えて、これなら受かる、完璧だ、だから3浪目は失敗しない

 

そんな「生まれ変わり」に「期待」をしていた。

 

でも現実は違うんだよ。

 

そんなことなら、一浪全落ちが決まった当日すぐ、「あの日」から今日まで全部やってきた。

 

今までの人生、すべてを反省して、最高の指針を立てて、これならいける、だから俺は二浪してでも早稲田を目指す、

 

もう既にやってきたんだよ。

 

それなのにさ、

 

直前期になって「やっぱだめでした」「また浪人します」「転生したらきっと次こそ受かる」

 

なめてんだろ。

 

文字打ってて自分のことぶん殴りたくなるよ。

 

あの時大隈銅像に誓ったことは全部嘘だったのか。

 

二浪目の「転生」は失敗しました、今回の転生はダメだったので反省して、三浪目また頑張ります?

 

そんな舐め切った受験生に早稲田を「受ける」資格はないし、「受かる」資格なんて無い。

 

わかっている、わかっちゃいるんだけど、どうしてもそうやってマイナスなことばかり考えてしまう。

 

エネルギーが枯渇してんだ。

 

少し言い訳させてくれ。

 

 

道が見えなくなったんだ。

 

宅浪生には指針がない。

 

「こんな闇雲な道だけど、信じて進めばきっと受かる」そんな「盲信」で進む力はもうない。

 

はっきりと、「これなら受かるよ」っていう「光ったルート」さえあれば自信もって「猛進」できるのにな、、

 

そもそも、そんな他力本願な方法なんて存在しないはずだ、ってわかってる。

 

でも、何かにすがりたかったんだ、きっと俺の「道標」となってくれるものが見つかるかもしれない。

 

そんなわけで、エネルギーが枯渇した俺は早稲田魂という雑誌を一日かけて読み漁った。

 

読んでてすごくワクワクしたけど、

 

正直ムカついた。

 

今の俺には、成功者は全員敵に見える。

 

何だこの人達は。いいよな、君たちは早稲田に受かって。

 

良かったじゃん、楽しそうじゃん、

 

 

でも、「俺には全部関係のない話」だ。

 

 

そう思うしかなかった。

 

俺があこがれた早稲田も、落ちれば仮面先の学生に戻って、すべて早稲田とは無関係な人生、「一生」を送ることになる。

 

これ前も言った気がするけどね、やっぱりこの「憎しみ」は消えないのよ。

 

愛が裏返れば憎しみに変わる、って漫画で聞いたことあるセリフだけど、凄く実感してる。

 

俺が早稲田を目指すために費やした時間、努力、金、人生、すべて何だったんだ??

 

 

「無駄」か。

 

 

そう言ってしまえばお終いだな。

 

でもよかったな、君たちは晴れて早大生になれて。

 

夢が叶ってよかったね、おめでとう。

 

でもそういうの全部、俺はプレッシャーに感じるよ。

 

そう、プレッシャー、だよホント。

 

 

落ちたら人生終了

 

 

言葉に表せばふざけてるようにしか見えないけど、この言葉の中には、言葉に表せないいろんな感情が詰まっている。

 

でも、そんなマイナスな感情たちを「肯定する術」や「救いの手」はどこにもない。

 

仮に3浪に「転生」したとしても、もうこれ以上の力は出せないし、成功する可能性は無い。

 

社会から隔絶され、

 

「あんなにも熱中した早稲田を捨てた」という莫大なコンプレックスを抱え続け、

 

平然と”仮面先の学生”として生活し、授業に出て、卒業して、その名を背負って生きて死ぬ未来。

 

こんな人生なんて絶対送りたくない。いや、「送れる気がしない」。

 

でも失敗したらもう、何も、残されていない。

 

回りくどいようで申し訳ない、

 

俺は今「落ちたらこうなる」っていう莫大なマイナスのプレッシャーと闘っている。

 

 

握りしめたロープを離したら、底に見えてるのは地獄の沼。

 

でも、もうロープを握って進む力も、握り続ける力もない。

 

 

はぁ、、、

 

 

いつからこう考えるようになってしまったんだろう、

 

今までは「水平」だった。

 

ゴールに向かってひたすら走る。

 

それが出来たのは、「時間」があったからなのかもしれない。

 

この莫大な「時間」さえあれば、このまま走り続ければいつかゴールに着くだろう。

 

そう信じて進むことが出来たのだ。

 

でもしかし今は、「時間」がない。

 

2週間、という数字が胸をきつく締め付ける。

 

もう間に合わないかもしれない。

 

過去問では未だに目標点に届かない、本番でのワンチャンスを期待するしかない。

 

もうぶっちゃけ間に合わない。

 

あまりにも距離が遠すぎるように感じる。

 

過去問を解いて、「点数」として出てきたその「距離」が、あまりにも遠い。

 

そうやって己のリアル、現実の実力と闘うことに疲弊し、怖くなってしまったのだ。

 

もう、過去問やりたくない。

 

現に、ここ3日間、本を開くがペンを持てない。

 

現実と向き合うことが本当に怖いのだ。

 

さっきも言っただろう、落ちたら地獄だ。

 

わかるよね、もう地獄だよマジで。

 

だから、現実と向き合いたくない。

 

本番、この一発の勝負に負けてしまったら、地獄行き。

 

そうなる未来を予感させるような「現実」は、もう目にしたくない。

 

なら、もう全部見たくない

 

勉強したくない、

 

逃げたい。

 

運命的な何かにすがりたい。

 

大学中退して全く別の人生を歩みたい、

 

そんなことすら考えてる。

 

つまり、「垂直」に考えるようになってしまったんだよね。

 

今までは「水平」、一つのロード。

 

でも、「時間」が無くなった今、「現実」と向き合うことが不可欠になり、

 

いつの間にか道は「ロード」ではなく、「底なし沼と一本のロープ」に変わった。

 

時間は残されていない。

 

下から迫りくる現実、ここで手を離したら終わり。地獄の沼行き。

 

なんとしてでも、このロープを離しちゃいけない。

 

進まなきゃ。

 

そして、天に届かなきゃ。

 

天に手がついたときにはじめて、「救済」される。

 

「救済」は、「死」でも、「転生」でも、「現実逃避」でもない。

 

目標を達成した時のみ、はじめて手に入れられるものなのだ。

 

なぜなら、「自分を肯定してくれるもの」は、「自分で決めた目標を達成した時のみ」にしか訪れないからだ。

 

他の代替材で消化しようとも、それが本当の「救済」にはならないことを、俺は一番よく知っている。

 

 

そんな俺に今、必要なのことは、ただ一つ。

 

 

ロープを握りしめ、

 

自分をひたすらに信じて、

 

上に、上に、下を見ないでに進むこと。

 

 

あとは馬力なのだ。

 

高所恐怖症の人は、高いところに居る時に下を見てはいけない、という。

 

受験でいう「高所恐怖症」は、「メンタルが弱い人」。

 

俺がそうだ。

 

だから絶対に下を見てはいけない。

 

下、つまり「失敗したときのこと」を考えたら、プレッシャーでつぶれてしまいそうになる。

 

実際、手を離した方が楽なのは間違いない。

 

受験を諦め、仮面先に戻り、底なし沼の元で、息を止め、眠りにつく方が楽に違いない。

 

しかし俺は、そんなことは「本当の幸せ」だとは思っていない。

 

だから「この道」を選んだし、今日まで進んできた。

 

今は辛いけど、この先に見える景色の方が、沼の中で眠るよりもきっと綺麗なものが待っているはずだ。

 

そうやって上を見ながら、下を絶対に見ないで進むことで、自己を肯定し、希望を見出していくことくらいしか、今の俺にはできないのだ。

 

 

今はすごく怖い。

 

「現実」と向き合うと手が震える。

 

もう無理なんじゃないか、手を離した方が楽だ、眠りにつきたい。

 

だから逃げたい、ペンを持ちたくない。

 

不安から逃げたい自分を縛り付けるように、意識を消し飛ばすように日々眠りにつく。

 

そんな日々の連続で、毎日毎日自分と闘っている。

 

でも、よく考えてみろ。

 

俺は今日ここまで諦めずに進んできたこと、これだけは確かだ。

 

親からの強いバッシング、「お前には無理」。

 

気づけば「俺はまだ何も成し遂げられてない」が口癖になっていた。

 

受験とは無関係だけれども、成し遂げたこともあるだろう、

 

俺は前代未聞のフル単を成し遂げた、1年かけて自動車免許を取った、向き合いたくない現実と向きあって担任と話した、バイト先の店長に仮面を伝えた、辛くて眠れない日もあった、それでも気が狂いそうになりながらも図書館に向かったこと

 

「もう無理」って思ったときに、一歩踏み出せるやつなんだ、って

 

俺が、

 

俺だけが!!

 

誰よりも知っている。

 

そこに、他者や、社会、が介在する余地はない。

 

そして、「それらのせい」にすることもできない。

 

俺か、俺以外か、そこには自分との1対1の勝負しかないのだ。

 

今ここで諦めて手を離すのも「負けそうな自分」との闘い

 

現実から逃げたくなる「逃げたい自分」との闘い。

 

俺は今までの人生で、何かのせいにしては逃げ、できない自分を正当化し、迫りくる残酷な「現実」から逃げてきた。

 

異性との接触が苦手なのも6年間男子校だったから、

 

いわゆる”青春”が無いのも俺は陰キャラだから、

 

早稲田に受からなかったのも、仮面先に順応できないのも、「仮面先が俺には合ってないから」

 

本当は「早稲田に行くための学力が足りない自分」と、「仮面先に馴染めない自分」と向き合うのが怖くて、「転生」に期待して仮面を始めて。

 

 

常に「今持ってる自分の実力・現実」を度外視して、「夢」「期待」「転生」にすがっていた。

 

 

だから当然だ。

 

「現実」と向き合わないで逃げてきたからこそ、苦しい。

 

受験を通して、自分の人生と向き合う瞬間が、今来たんだ。

 

1対1の勝負、もう誰のせいにもすることはできない。

 

信じるのは自分だけ、誰の力でもない、己で道を切り開いていく決意と信じる力。

 

 

今までの人生で、ここまで「自分自身を揺るがすようなもの」と闘ったことが無かった。

 

今こそ、己と向き合い、「変わる」ときだ。

 

 

だから今ここで宣言しておく。

 

1つ、俺は、ぜっっったいにこのロープから手を離さない。

 

2つ、俺は、「現実」と向き合い、「下」を見ず「上」だけを見て、諦めない。

 

最後に、俺は、ぜっっったいに自分を信じ切る。

 

この場を借りて誓います。

 

 

そして、そこで出た結果なら、もうそれだけのこと。

 

「やれることは全部やった」そう言い切って2/14を迎えたい。

 

早稲田に受かった成功者だってそうだ、きっとこの「辛い地点」を誰もが通っている。

 

「光ったルート」なんじゃなくて、「己が歩いた軌跡」が、光った道となっただけだ。

 

最初から成功するような王道のルートなんて存在しない。

 

自分を信じ続け、手を離さず、前に進んだからこそ

 

その足跡は生まれ、いつの間にかゴールに到達していたんだと思う。

 

だから、俺も「自分の進む道」と、「己の選択」"だけは"、疑わないようにしたい。

 

他者や社会からの風、隔絶感、現実、地獄、プレッシャー、早稲田、そして、諦めたくなる自分自身。

 

敵は果てしなく強い。

 

でもそんな中で、俺が持っている武器は、1対1の「選択」しかない。

 

「やる」か「やらないか」。

 

そして、「自分を信じてあげられるのは自分しかいない」から。

 

だから、せめて「自分だけでも」信じて、この手を離さずに、進んでいきます。

 

 

最後の最後は「俺ならできる、自分だけは信じる。」

 

 

書いてるうちに「答え」が出たよ。

 

闘うぞ、2週間、全力で生きます。

 

 

追記)

過去に書いた記事を久しぶりに読み返したら元気が出ました。

 

waseda-juken.hatenablog.com

 

そうだよな、そういえば、「来年の春に必ず早稲田に行く」んだったよな。

 

絶対に諦めない。

 

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