8/29 僕の人生を振り返ってみる
こんばんわ、蓮です。
ただいま、深夜の二時です。
急遽このブログを書く必要があると感じ、今書いています。
本当は前回宣言した通り、「模試の振り返り」を載せたかったのですが、気合い入れすぎてどうしても時間がかかってしまい、二日にわたって書いています笑
少々お時間をください!m(__)m
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本題です。
超長いので、時間がある時だけにしてください!
伝えたいことがありすぎて、長くなってしまいました。笑
自分の人生を10年分ほど振り返って、仮面を始めた理由や、大学での生活、親族の話、すべてまとめた”超増版”の記事になっているので、時間がある時にでも、一回だけでもいいから読んでほしいな、と思います。
長すぎるので、短編小説を読むくらいの気持ちで読んでくれるとありがたいです。笑
(10~15分程度で読めると思う)
ではでは.....
僕のおじいちゃんが、入院しました。
図書館から帰宅してすぐ、そう母から聞かされました。
高いところから落ちて、背骨を複雑骨折したそうです。
もうこれで入院するのは三回目なんですけどね。(どれも階段から落ちて左右の腰を両方打つ、という..)
正直、もうおじいちゃんはそう長くは生きられないんじゃないかな、って思います。
祖父母の家を訪れてもおじいちゃんはどんどん衰退していくばかりで、その様子は見てて明らかにわかります。ご飯も乾麺も食べないで水分のみ摂ってるみたいで。
僕は幼いころから両親よりも祖父母の家で育ってきた記憶が濃いので、おじいちゃんとは沢山思い出があります。
なにより、僕に「早稲田」を目指すきっかけを与えてくれた存在であり、「じいちゃんみたいに早稲田に行きたい!」と思わせてくれた、僕の人生に影響を及ぼした大きな存在でもあるんです。
当時小学生だった僕は、東大も慶應も、大学については一切知らなかったけど、「早稲田はすごいところなんだ...。しかも一番すごい政経ってとこなんだね。へ~。」みたいな。
なんだかよく知らないけど、早稲田に謎のパワーを感じていました。日本一難しい大学だって、当時は思ってたかもしれない。笑
だから僕は、小学生のうちから「早稲田」を目指すと決めました。
じいちゃんの娘に当たる僕の母さんは、多浪したけど早稲田にずっと落ちて、結局、大学には行かなかった。
それならば、
「母さんができなかったことを僕が成し遂げて、早稲田に行ってやるしかない!!」
だから、おじいちゃんが生きてるうちに、なんとしてでも早稲田に受かりたかったし、
政経じゃなくても、もうどこでもいいから受かりたかったんだ───────
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【もくじ 10年間を振り返って】
親から真実の話を聞いてもう涙が止まらなくなった。自分の小ささと親族への感謝の気持ちを痛感した。忘れたくないのでブログに書きます
— 二浪宅浪の蓮 (@ren_wsd) 2019年8月28日
→昨日のツイートに関しては、「ご報告」だけでも読んでいただけるとありがたいです。
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小学校時代
僕は中学受験をしました。
親の方針もあって、どうやら自分の子には、自分ができなかった分、大卒の学歴はつけてほしかったらしい。
僕はそもそも全然天才でも何でもないし、ごく普通の、学校のテストでは70点くらいの「よくいる感じの」子供だった。
塾は正直、周りがすごすぎて限界を感じてたけど、めちゃくちゃ頑張った。早稲田の付属校に行きたかったんだ。
塾に入ったのは小5からで、本当はこの時点で遅すぎて「お察し」なんだけど、
僕は一生懸命努力して偏差値40台の一番下のレッスンから、
受験直前期には偏差値60超えるくらいの上位レッスンまで登ることができた。
当時はめっちゃうれしかった。今でも覚えている。
イナズマイレブンと遊戯王とポケモンしかやってなかったガキンチョが、ここまで成績を伸ばすことができるんだ、
って身をもって知った経験だった。
けど、結局早稲田の付属校には入れなかった。
だから今度はその分、中高は付属大学のない 、偏差値の高くて周りと競えるような環境に自分の身を置くことで自分をストイックに追い込んで、中学受験のリベンジを今度は大学受験で果たしてやろうと思ったんだ。
そして、「第二志望」の学校に、進学した。
中学・高校時代
本当に死ぬ気で勉強した。
本来の僕のポテンシャルよりレベルの高い学校だったから、入学当初は下の方のレッスンだったけど、そこからめっちゃ頑張って、中学二年の後半になる頃には学内の最上位レッスンまでのし上げた。
でも親が厳しかったから、中学高校ともにスマホ等の通信機器は持たせてくれなかった。だから当時流行っていた「パズドラ」もできなかったし、LINEのクラスラインの話題にもついていけなかった。
昼ご飯は毎日自分で作っていった。すごく大変だったから、受験期は学食のお金は親に貰ったけどね笑
やりたかったゲームも全部断ち切って勉強に集中する環境を作った。なのでポケモンはbw2で全盛期を迎えました。笑
高校に上がってからは、昼飯は高速で済まして図書館で勉強し、夕方も頑張って図書館に向かった。
文化祭や体育祭は興味がなかったから行かなかったり、その間勉強したりしてたし、毎回の小テストでは本気を出し、おかげで『ターゲット1900』は自力でやることもなく単語力が身についた。
もちろん、(理系の物化数Ⅲ以外は)最上位レッスンを頑張ってキープし続けたし、気づけば学内のテストでも得意科目は冊子に名前が載るレベルになっていた。
これだけ見れば本当に何にもない、勉強しかしてこなかった六年間だったけど、大切なものは見つけることができた。
友達は多くはできなかったけど、互いに深く語り合える親友ならできた。
そんなにうまくないけど、軽音楽が趣味なんだってわかった。
なにより、「自分って一度決めた目標に向かって頑張り続けることができる人間なんだ」ってことがわかった。
男子校のストイックな環境も、無駄ではなかったかな。
でもおかげさまで女子とは全く会話してこなかったから社会的経験は大幅に損傷してると思うけどね!!!笑
こうやってネタにできるから無駄ではないかもね。笑(ガチなんですけどもね。)
もう大丈夫だろう、ここまでない、ってくらい全力を尽くした。
でも、落ちた。
これで2連敗だ。あんなに頑張ったのに。
死ぬほど努力したけど、失ったものも大きかった。
なのに、自分の夢を叶えることはできなかった。
夢の屍の上を歩きながら、この先の人生を、もう歩んで行ける気がしなかった。
バッドエンドなのか....?己の人生は────
大学生時代(一年目)
努力のおかげか、かろうじて現役でA大学には合格した。
じいちゃんはちょっと酔っぱらってたけど、「すごいね!まさかキミが受かるとは思ってなかったよ。。。」って泣いて喜んでくれた。
だから、僕はじいちゃんや家族を浪人して悲しませたくなかったから、現役でそのまま進学した。
僕は本当は浪人したかったけど、自分のためではなく、家族の喜んでくれる姿が見れて嬉しかったし、ちょっと未来に希望をかけてみようと思ったんだ。
「本当はあんなに憧れた早稲田に行きたかったのになぁ。」
「あんなにストイックに頑張ったのに、なんで。。」
気持ちは晴れないまま。
あの時の喜びと悔しさは僕の中で入り混じり、永遠に消えることはなかった。
結局、大学は全然楽しめなかった。
あんなに覚えた紺碧の空ももう歌わないんだ、いや、「歌えないんだ」。
教会なんて行くもんか。なんだ、「カレッジソング」って。バカらしい。
だから僕は今になっても現大学の校歌は何一つ知らない。
「男子校6年間かつ受験勉強しかしてこなかった真面目ちゃん系でお母さんに買ってもらった上下ユニクロ装備の完全童貞の僕」にとって、周りにいる高そうな服を着てるいかにも「経験者」そうに見える学生達にはどうしても馴染めなかった。
友達もなかなか作れなかったし、馴染もうとする気すら正直無かった。もう疲れた。
そうやって全てを斜に構えるようになってしまった。
結局、去年の一年間は大学にまともに通えず、留年が決まり、なんだか違う角度から親や祖父母を悲しませることになってしまった。
「俺がやりたかったのは本当はこんなことじゃないのに。」
本当は楽しく過ごしている姿を見せたかった。あんなに喜んでくれていたのだから。
わかってたんだ。わかってるんだけど、なんだか本当に気持ちが晴れなかった。
だから、ある種”ドラッグ”のような「仮面浪人」という「合格して夢を叶えれば、濁り切った世界を変えてくれる」そんな幻覚を見せてくれるような麻薬に手を出してしまったんだ。
失敗したあとの「副作用」も知らずに。
それが去年の秋、11月くらい。
遅いよね、僕は100日間で早稲田を目指そうとした。模試も受けず、なんの根拠があるかわからないまま。
結局、落ちた。
まあ当然だ
受験料も稼ぎきれなくて親に十万代の借金をしたし、今もそのしわ寄せに苦しめられてる。
大学も楽しくないし、留年が決まり、友達もいないし、失った膨大な「1年間」。
何にもしてこなかった、金は何万と消えた、もう僕の手元には何も残っていない。ただ家族を悲しませただけだった。
もう本当に氏のうかと思った。
でも結局は浪人の友人の励ましのおかげもあって、また早稲田を目指すことにしたんだ。
大学生時代(現在)
なんやかんや、楽しいかな。
一人になるって時間があるのも、案外いいことなのかもしれない。
受験勉強は続行するつもりで4月から勉強を始めたし、拙いけどこのブログも開設した。Twitterをはじめて、浪人の同志からエネルギーをもらうようにした。
浪人生であふれるタイムラインは鬱ツイだったり、ネタツイだったりでどこかおもしろいし、「受験勉強」っていうテーマひとつでも、こんな様々な人間がいるんだ。って思わせてくれる。
出会いもたくさんあった。
早稲田志望じゃないけど、同じく仮面浪人をしている方から、仮面を始めた動機だったり、今までの人生の話を聞いたりして、自分の世界が広がったような気がした。
現役の早稲田生の方に自分の受験勉強の相談に乗ってもらったり。
同大で仮面している人を見つけて「ひとりじゃないんだ。」って安心したりね。笑
なにより、同じ早稲田志望の同志とアツく語り合ったのは人生はじめてだったかもしれない。小中高と、早稲田に熱を感じてる人はそんなにいなかったから、これが一番新鮮だった。
一緒にオープンキャンパス行って大隈銅像に土下座したりもした笑
(同行者のプライバシーの為載せないけど笑)
新鮮な半年間だった。
中高の友達は月一程度で会ってくれたし、大学の友人だってときどき受験勉強の悩み相談に乗ってくれた。
最初は「離れていってしまうんじゃないかな」って不安だったけど、思い込みすぎだったみたいだ。全然生きていけるね。不合格だったときは氏のうとしてたのに。
通うことが決定した大学の方も、めっちゃ頑張った。辛かったけどなんとか乗り切ったし、やっぱり「やればできる」そう自信になった。一個ずつ不安要素を消していってる感じかな。
受験自体は早く終わらせたいけど、そうやって、新たな出会いや経験をすることができて、この時間は決して「無駄ではないのかな」って思う。でもまた落ちたら「無駄やった」って言いそうだけど。笑 そうはしたくない。
僕は今年落ちたら大学に残留して、留年しちゃうけど頑張って卒業しようと思う。
さすがに同期と差が離れていくのはこれ以上見てらんないしモヤモヤするし、なにより家族や祖父母に心配をこれ以上かけさせられないんだ。
だから、残留した場合、きちんと前を向いて進むことにする。その様子もここのブログに書こうかな、嘘にしないためにね。受かっても、落ちても、ちゃんと止まらず「次の目標」に向かって走っていきたい。
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ご報告
戻ってきた。
おじいちゃんの入院によって、正直お金がなくなっちゃうんだよね。
後期に予備校に行きたいと心から思っていて、めっちゃ下調べもしたしいろんな人に協力してもらったんだけど、予備校に行きたいから金を貸してほしい、って言っても本当にお金がないみたいなんだ。
だからおそらく、宅浪になる。親とは終始僕が浪人していることをよく思っていないから文句だったり嫌味ばっかり言ってくるんだけど、そこは耐えるしかないかな。
じいちゃんに早く治ってもらいたいし、そんな自分のわがままのために使っていいお金じゃない。
うちはそもそもお金がないのに中学受験をしたし、その代わりに学費の安い国公立に行けって言われてた。
だから僕は早稲田と同時に国立大も目指していたんだけど、結局ダメだった。
結果的に、現在は私大に通わせていただいている。お金もマイナスなのに。
もうそれだけでありがたいことだし、うちの両親だったり、祖父母だったり、みんなが協力してお金を僕のために取っといてくれていたんだって、今日親から聞いて初めて知った。
それを僕は知らなかったから聞いたときに思わず涙が出たし、「なんて自分は親不孝ものなんだ、こんなにも迷惑かけて...」って心から思った。
でも.......ここだけは曲げられないんだ。
家族の喜ぶ顔と、ちょっとした期待で僕は大学進学を選んだけど、結局それは自分も、家族も苦しめてしまった。
だからこそ、僕は自分なりの生き方で、生き様を見せることで、幸せになりたいし、恩返しをしていきたい。
そんな深いこと、今まで考えてこないで、ただのうのうと過ごしてきた。
だから確実に、今日が「人生の分岐点」だったといえるはずだ。
早稲田は僕の人生を変えてくれた存在だし、そのために僕は10年近い年月を注ぎ込んできた。
でもいつまでも言っていられるわけじゃないし、諦める日が来るかもしれない。
もしその日が来たとして、投げ出したとしたら僕を許さないでほしい。
仮に早稲田に受かったとしても問題はまだまだ沢山ある。
金銭面のことだってそうだし、燃焼しきってダラけてしまうかもしれない。
そうなっていては元も子もない。
僕は自分の人生の生き様で、他人を、親を、出会ったみんなを、幸せにしていきたい。
そのための一歩を今日、新たに、確実に、踏み出した。
今日から僕は「覚悟」をもって生きていくことをここに誓う。
追記)
【ご報告】大学の取得単位が発表されました。後期からは休学し、宅浪となります。
詳細は下の記事にたくさん書きました。渾身の記事なので、どうか一読してほしいです!